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お時間の空いた時などにお読み頂けるオンライン小説を扱っている、個人創作サイトです。

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スタジオ『チセ』は、オンライン小説サイトです。
短編から長編のお話で、お時間の空いた時にお読み頂けます。
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<スタジオ『チセ』>
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<久遠>
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キセキのヒカリ

 今日も朝が来て、終わりを迎える頃には夜になる。当たり前のように毎日が始まって終わる人生に、主立った価値があるのだろうか。何かを為すこともなく、何かを残すこともしない。ただ、ひたすらに限られた時間を消費して、ただ 無駄に年だけを重ねていく。
「僕の人生って、何なんだろうなぁ」
 時計の針を進めるばかりの人生に、いつから機械的に過ごすようになったのか。巷では、「勿体ない精神」が流行っているというのに、僕の中にはそれがない。ありえない。
 五百円玉を握れば、すぐにそれを使うし、毎日の食事だって作り過ぎて、腐らす始末。挙句、冷蔵庫に入ってる野菜も捨てることが多い。
「今日だって、冷蔵庫を開けてみれば、カビの生えた野菜がちらほらと……」
 キュウリ、ニンジン、レタスにキャベツ。安売りで買ったは良いけど、使い切る前にこの有様だ。比べ、レトルト食品とかカップ麺は、保存料のお陰か腐らすこともまずない。まぁ、変わり映えのない味なのが傷なんだけど。
 ピリリリィ、と不意に携帯が鳴った。
「……はいはい、もしもーっと」
『あ、城阪か?』
「その声は……誰だっけ?」
『おいおい、俺のことを忘れたのか!?』
 何だ、オレオレ詐欺の類か。と、僕は通話を止めようとする。
 その行動に感づいたのか、電話の相手は、
『ま、待て! 俺だ、高峰だ! 分かったなら、切るなよ!?』
 慌てふためいたように、静止をしてくる。
「あぁ、その声は確かに高峰だわ……。朝っぱらから何だよ。用がないなら、本当に切るぞ?」
『用って程じゃないが、どうせお前のことだから、年末年始は暇で暇で死にそうだろ?』
「失礼だな。年末年始じゃないぞ。一年中だ」
 そりゃあ、アルバイトはしてるが、時給は安い。一日をフルタイムで働いても、月に十五万行くか行かないかだろう。高峰は、察するに救いの手を差し伸べてくれているんだ。
『じゃあ、俺の仕事でも手伝わないか? 今、人手が足りないんだよ。お金は色付けるからさ。どうだ?』
「どのくらい?」
『今、アトリエの改装工事をしていて、その序でに古い作品なんかを処分しようと思ってるんだが……如何せん、量が量でな。お前が良ければ、働きに来ないか? 年末年始の二日間で、日給二万は出すぞ?』
「そうか、そうか。日給が二万か――って、二万!?」
 こんな不景気の時代に日給が二万なんて、大盤振る舞いも良いところだ。土木作業でも、そんなには稼げない。
「勿論、引き受けるぞ。二日間と言わず、何日でもな!」
『んじゃ、言葉に甘えて、明日から俺のアトリエに来てくれ』
 そう言って、通話は途絶えた。
「しっかし、一日で二万か……大きいな」
 高峰――本名を来栖高峰。自分と同じ三十歳で、アトリエを持つ若きイラストレーター。大手のゲームのイラストや、本の挿絵といったものを中心に引き受け、彼が描くイラストは、幻想的で神秘的なことから根強い人気がある。
 美大の頃からの友達であるが、自分とは違って売れている。
「ま、四万は確実に儲かる訳だし、久しぶりに手伝ってやるか」
 翌朝、一番に高峰のアトリエへ向かった。
 マンションの一室を完全にアトリエにしている高峰は、今回の改装で別のマンションを新しいアトリエにするそうだ。今日は、そのアトリエに持っていくモノと持っていかないモノとの分類をするだけでなく、書類などの整理整頓もする。
「よう、高峰」
「お、来たな。まま、上がってくれ」
 アトリエは、踏み場もないぐらいにイラスト集や書類で埋め尽くされていた。
「変わらないな、此処は……八年ぶりだが、相変わらずの汚さだ」
「そう言うなって。これでも、綺麗にした方なんだから」
「それはそうと、僕は何をすれば?」
「ああ、そうだった。このキャンバスとか本とか、兎に角、そこ等辺にあるもん、全部を段ボール箱に詰めてくれ。一人じゃ、無理があるからな。城阪がいれば、百人力だ」
 高峰の言葉に、「買い被り過ぎだ」と苦笑い。
 季節は冬。年末で、外には朝だというのに、ちらほらと雪が見える。
「なぁ、城阪」
 作業を始めて一時間ぐらいのことだ。
「お前って、もう絵は描かないのか?」
「何だよ、急に」
「いや、お前だって絵が上手いのに、その技術を活かさない手はないだろ?」
「それこそ、買い被り過ぎだろ。僕は下手だし、それにブランクがあるだろ?」
「だったら、まず小さな下請けから始めて、少しずつ感覚を取り戻せば――」
 僕は、話しを遮るように、
「僕には、もう描けないんだ。あんな絵を魅せられたら、自信もすっかり失くしたよ」
 と、意味深な発言をする。
 思い返せば、あの日、あの日展で、僕は自分の人生を変えてしまうほどの出会いをしたんだ。
「あの時……あれは、きっと運命だったんだよ。神様が悟らせる為の、数奇な運命ってね」
「城阪……お前……」
「諦めるには、丁度良い切欠だった」
 六年前、美大を卒業して二年が経った頃、僕はイラストレーターではなく、一人の画家として生きていく為に、それまでの絵描き人生の中で最高の出来栄えの作品を日展に出した。その年の日展は、応募総数が歴代の中でも二番目に多く、受賞するには、かなりの倍率を突破しなければならなかった。
 そんな折、その絵は、大々的に輝いて見えたんだ。秀逸な技術だけでなく、それを浮き上がらせる為の配色のバランス。遠近法や明暗の区別、まるで、かのレンブラントを彷彿とさせる油彩画だった。
 そりゃあ、レンブラントに比べれば雲泥の差がある。でも、荒削りながらもエネルギッシュで独創的な描き方は、審査員の注目を集めるには十分過ぎるものだった。
 深淵の中に浮かぶ一輪の白い薔薇。ただそれだけの絵だったが、何より驚いたのが、その絵を描いた人の年齢だ。若干、十五歳の少年は、二十四歳の自分よりも大人びていて、雰囲気そのものが一線を期すようでもあって。
 結果は、自分の絵は銀賞で、少年の絵が金賞を取ることになった。
「何つーか、あの絵を見た時、ビビビッと来たね。これは、諦めるに値する作品だってさ」
「だからって、銀賞を取ったのも凄いだろ? 応募総数が五千点の中から選ばれてるんだから、ずっと努力していれば、今度こそ金賞だって取れたはずだ」
「それは、違う。一番は、悟りだったんだよ。あのまま描いていても、僕には届かない世界なんだって、芸術の神様が創り出した領域には入れない。大体、時代時代には必ず出てくるんだ。所謂、天才って奴がさ。ほら、ミケランジェロも、ダ・ヴィンチも、ゴッホにルノワールなんかも」
 そうだよ、そうなんだよ。天才には、凡才がどう挑んだって勝てる訳がないんだ。確かに、絵を描くことは好きだし、絵で食べていけるなら、理想だとも言える。
「そういうもんかぁ?」 
「そういうもんだ。だから、僕はもう絵のことは諦めてる」
「けど、その日暮らし的なのは、関心しないぞ?」
「それは……そうなんだけど……」
「何か、未練たらたらに見えるよ。本当に」
 その時、ふとある雑誌に手が止まった。
『日展世界の全て』と呼ばれる六年前の美術雑誌で、丁度、自分が出た日展の時のものだ。
「今頃は、大学生ぐらいか……あの子も……」
 懐かしさもあって、パラパラとページをめくる。
 桐生青葉――十五歳だった彼に、僕は見事にやられた。
「そう言えば、この日展以外で、彼の名前を聞いたことがない」
 金賞を取る実力で、そのあとも絵を描き続けていれば、名前が挙がるはず。
「な、なぁ、高峰。この雑誌、他にもあるのか?」
「んーっと、ああ、その雑誌ならその辺に落ちてるんじゃないか? 欲しけりゃ、やるよ」
「なら、最新の奴と、古いのを何冊か貰ってくわ」
 昼休み。作業をひと段落付けると、雑誌を読み始めた。
 当時の写真には、金賞の彼と銀賞の自分の作品も載っている。が、この六年間、あるはずの名前がどこにも載ってない。
「あ、あれ? 探し方が悪いのか?」
 どのページにも、どの雑誌にも、それらしい写真も絵も見つからない。
 何だろう、何なんだろう。異例の若さでの受賞は、出版社も黙っていないはずだ。あれからどんな成長をしているのか、どんな絵を描いているのか見たかったんだけどな。
「見つからないなら、仕方ない」
 と、何だかんだで内心では諦め切れていないのか、授賞式当時の出身校や、出身地などを調べたりする。桐生青葉は、東京都の田舎に当時は住んでいたそうだ。聞き慣れない名前の村の為、手持ちの資料では確認が難しい。
「青ヶ島村……何か、鬼ヶ島っぽい名前の村だなぁ」
 携帯を取り出すと、オンラインの辞書やマップナビで青ヶ島を調べていく。
 青ヶ島は――詳しくは分からないが、人口密度が千人にも満たない小さな島で、平均年齢も年々高くなっている。辛うじて小中学校があるが、同じく生徒の数は少ないと思われる。
 ただ、それでも――。
「中学生で日展で出られる……可能性もなくはないか」
 ただ、仮にこの田舎から芸術家が輩出したとなれば、必然的に注目度は上がるし、村総出でお祭り騒ぎになることも十分に考えられる。でも、現実は恐ろしいぐらいに静かで、青ヶ島が話題に取り上げられたことも、今の今まで聞いたことがない。
「――おい」
 あまりに集中しているから、高峰の呼び声にも気づかない。
「おいって、そろそろ休憩を終わりにして、作業に移ってくれないか?」
「あー……そうだったな」
「何だよ、そんな古い雑誌に何か目ぼしいものでも載ってたか?」
「いや……まぁ、ハーフハーフ的な?」
「何、そのフィギュア選手の言い方は。作業しないなら、金も払わんぞ?」
 僕は、一度は引き受けた仕事だからと、きっちり夕方近くまで働いた。
 十二月も終わりに差し掛かり、年の瀬の夜。三十一日。テレビでは、紅白の歌合戦を中心とした特番が組まれ、深夜番組の多くが新年へのカウントダウンに変わっている。
「歌番組が多いのは嬉しいけど、流行りの曲は分からんな」
 アイドルグループの曲だったり、ロックバンドの曲だったり、聴いていても、これと言って感動というか、心に響くものがない。カラオケで皆と騒いだりする分には良いのだろうけれど、一昔前の曲の方が良いな。
「……と、そんなことより、調べものだ」
 桐生青葉、彼が絵を続けていることを前提に、この六年間で行われた芸術祭や展覧会を片っ端から調べる。そりゃあ、地方のものは調べようがないが、大まかなものなら、ある程度は分かりそうだ。
 そう、分かりそうなんだけど、
「あ、あれ? 情報が……ない?」
 情報がない――というよりも、こと日展に関しては、六年以上も前にも、それらしい名前が見当たらない。見つからない。青ヶ島だけでなく、東京都で開かれた芸術祭にも、「桐生青葉」という名前はなかった。受賞者の全ては二十代、三十代といった大人ばかり。
 念には念を入れて、小中高生が参加しているものも調べてみたが、
「やっぱり、ない」
 痕跡が一つもなかった。
 それとも、ないというのは、六年前の日展だけにしか出ていないのか?
 いや、仮にそうであったとしても、その後の足どりが不明というのは変だ。
「年明けにでも実際に足で調べてみるか」
♪ ♪ ♪

 その情報は、予想外のところから入ってきた。
「城阪、お前が去年から執拗に調べてた……えっと、あぁ、桐生青葉だっけ、そいつのことを俺も気になって調べたんだが……」
 アトリエで作業をしていると、高峰が一枚の紙を渡してきた。
 その紙には、住所と電話番号が書かれている。
「高峰、これって何だ?」
「ああ、その桐生って子の住所とかだ。こんな仕事をしてると、俺にも色々な繋がりができるんだ。間違ってなければ、その住所で合ってると思うぞ?」
「悪いな。このお礼は、きっちり労働で返すからさ」
「そんなことは別に良いけど、行くなら何か行く為の理由が必要だよな。流石に、見ず知らずの奴が突然に来ると、向こうだって混乱するだろうし、不安だろうし」
 そりゃ、そうだ。
「そうだ。丁度、島民を題材にしたイラストを描くことになってるんだ。ただ、俺には他にもやらないといけない仕事があって、そこでお前に仕事を紹介するから、引き受けてくれないか? 勿論、報酬は弾む」
「待て。話しを飛躍するな。僕はブランクがあるって前にも言ったろ? お前の顔に泥を塗り兼ねん」
「けど、気になってるんだろ? なら、考える前に行動だ。兎に角、期日までに作品を渡してくれれば良いから」
 半ば、強引に押し付けられる。
「ったく、一方的な……」
 と、不満はあったが、内心では助かった。
 数日後、しっかり労働に見合ったお金を貰い、その足で東京都にある青ヶ島を目指した。県外にあることから幾つもの電車を乗り継いで、小型船にも初めて乗って、何時間かの小旅行を楽しみながら、漸く辿り着いた小さな島。
 一月。季節は冬。途中で粉雪を感じつつ、教えてもらった住所を頼りに出向くと、一軒の木造住宅が見えた。古びた造りながら、庭と思われるスペースには小さな家庭菜園があって、量は少ないが野菜が植えられている。
「すみませーん」
 玄関の扉を叩きながら、呼び鈴を押す。
 然し、誰もいないのか、何度呼び鈴を押しても、特に反応はない。
「あれ……いないのかな」
 けれど、住所は合ってるらしく、表札にも「桐生」と書かれている。
 そこへ、
「どなたかしら?」
 背後から女性の声が聴こえた。
「この辺りでは、見ない顔だけど……」
「えっと、あの……僕は城阪です。今、取材をしていまして……」
「……取材……?」
「はい。島の人達をモチーフにイラストを描くという仕事の取材です。それで、日展で最年少受賞をした青葉君の……いえ、桐生青葉さんのことを是非、取材させて貰えたらと思っているんですが……」
 すると、思ってもいなかった言葉が返ってきた。
「ごめんなさい。それは、お断りさせて頂いてるの」
「な、何故ですか!?」
「あなた……城阪さん、もしかしてご存知ないのかしら?」
「何のことですか?」
 次の言葉は、僕にとって衝撃的だった。
「青葉は……もう、いないんです」
「……え、いない?」
「六年前――あの子は、死んだの。先天性の心臓病でね、あの日の日展を最後に、重責発作を起こして亡くなったわ」
 言葉が出なかった。
「立ち話もなんですから、お入りになって下さい」
 案内されるように、居間へと進んだ。
 その中心には、笑顔の「彼」――桐生青葉の遺影がある。
「痩せてるでしょう? あの子、ずっと病院と自宅しか世界を知らなくてね。あの日展にも、本当は無理して出ていたの。余命宣告されていて、あの日は、最初で最後の晴れ舞台だった」
「す、すみませんでした……。僕、そのことを知らなくて、辛いことを思い出させてしまって……その……すみません」
「別に良いのよ、慣れたから……。寧ろ、隠す方がより辛いぐらいよ」
 桐生青葉の母親と思われる女性の「慣れた」という一言を聞いた時、何故だろうか、無性に遣る瀬無くて、居た堪れない気持ちになった。
「……ということは、青葉さんの絵は、受賞作以外には……?」
「えぇ、ないわ。元々、体力が続かないから、一枚の絵を描くのにも普通の何倍もかかるの。そうだ、その絵があるのだけど、お持ちしましょうか?」
 言って、部屋の奥から風呂敷によって隠された、あの日の絵を母親は持ってきた。
 ひと目見ただけで感動して、存在感も相まって悟らされた絵だ。
「間違いなく……あの日、僕に負けを悟らせた絵だ……」
 黒く塗り潰された背景に、白銀の一輪の薔薇が描かれた、ただそれだけの絵だ。あまりにも簡素だが、逆にそれが薔薇の存在感を強め、何より、こういったシンプルな描き方になればなるほど、技術が要求される。
「あの、負けって……?」
「え、あ、その……六年前、僕も銀賞でしたが受賞したんです。その時、この絵を見て、『この絵描きには、勝てない』と勝手ながら悟ったというか……」
「もしかして、あの城阪優さんですか?」
「知っているんですか!?」
「知ってるも何も、あの子……亡くなる前に言ってたのよ。あんな自由な絵を描いてみたかったって……。結局、その願いは叶わなかったけれど……」
 当時、銀賞に輝いた絵は、至ってシンプルなものだった。
 空を自由に伸び伸びと飛んでいる鳥の群れ、それを際立たせるのが、遥か彼方に落ちる太陽による夕焼けだ。薄暗くなった空に、赤や黒を混ぜた描写は、一日の終わりを意味するが、反対に数時間後に訪れる明日を指し示す。
 まさか、自分が想い焦がれた絵の作者も、自分の描いた絵に想い焦がれていたなんて。
「これも、何かの運命なのかしらねぇ」
 そう呟くと、母親は軽く微笑んだ。
「運命……ですか?」
「だって、城阪さんも絵がお好きなんでしょう? 何か、通じるものがあるのかしらね」
 それからも母親は、想い出を交えながら一人息子の、桐生青葉のことを言って聞かせてくれた。
 生まれた頃から病室と自宅しか知らなかった桐生青葉にとって、絵を描くというのは、たった一つの世界を知る為の道具だった。雑誌や週刊誌を見ながら、此処ではない別の場所、知らない世界をスケッチブックやキャンバスに描いていく。
 世界は、自由だった。キャンバスと鉛筆があれば、何処にでも行ける。青葉は、世界を旅した。芸術の都のパリ、自由の国のアメリカ、沢山の世界を渡り歩いた。その国々のバス、車、船、多くの乗り物にも乗って、不可能なことは何一つもなかった。
「余命宣告を受けた時、あの子は生きた軌跡を残したいと言って、悲鳴を上げる身体に鞭打つように、毎日、毎日……ずっと、キャンバスに向かってた。それで描き上げたのが、あの絵だった」
 生きた軌跡、か。
 確かに、あの絵は僕に何か――底から湧き上がる何かも悟らせた。
 負けだけじゃない。勝ち負けを超越した、生きることへの情熱と、死に逝く者の儚さを感じ取らせた。少なくとも、僕にはそう感じた。そう見えた。
 その情熱と儚さは、今も忘れていない。忘れていないのに、今の僕は何をしている。何をやっている。一方的に「負けた」と思い込んで、勝手に諦めるべきことと悟って。天才には、どう足掻いても凡人じゃ勝てない、なんて開き直ったりもして。
 考えてみれば、そんなこと、どうでも良いことなのに。絵は、勝ち負けで描くんじゃない。天才だとか凡人だとか、本当に絵が好きなら、関係ないことだ。子供が絵を描くのは、上手い下手ではなく、そこに無限の可能性があるから、自分の考える世界が見えるから、だから描くんだ。
「僕……今頃になって、やっと理解できた……」
 理解できた。理解した。
 きっと、「好き」という気持ちだけで十分だった。
「今日は、ありがとうございました。お陰で、大切なことに気づけたような気がします。僕は、やっぱり絵が好きなんだと思います」
 そうしてその日のうちに地元へ帰ると、高峰から受けていた仕事を断った。
 一度は受けた仕事を断るのは、かなり迷惑だと思う。でも、今の自分には、為すべきこと――いや、六年もかかって漸く見つけたものがある。
「――で、その桐生青葉って子は、どんな子だった?」
 何も知らない高峰は訊ねた。
「良い好青年だったよ。笑顔と瞳が綺麗な、ね」
「そっか。何はともあれ、城阪もやっと自分を見つけた訳だな」
「おう。これから、遅咲きだけど画家として再起してみるつもりだ」

 そして――。

 二年が経った。三十路を超えて、すっかり「おじさん」となった僕は、この二年の間、寝る間も惜しんで徹底的に基礎をこなしていた。人物画、静止画、風景画も何百枚と描き、ブランクを忘れるほどに描いていた。
 流石に日展で受賞できる程度にはならないが、それでも――それでもいつか、あの子と同じ世界に立てるように。金賞とか銀賞とか、そういった名誉なんて要らない。ただ一瞬の輝きと、生きた軌跡を残す為に。
 肝心の、これから歩む画家としての物語りは、別の機会にということで。
 今は、この湧き上がる感情に身を委ねたい。軌跡の光を、描けるように――。
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